画廊隅の休憩所 310645


気潰れシリーズ(AA)作者に訊きたい事

1:名無し :

2012/06/07 (Thu) 21:01:58

連絡方法どころか名前すら不明。
ゴルゴ13以上の捕まらなさを誇る気潰れ作者氏に訊きたい事を呟くスレ。
ひょっとすると他の人が一緒に考えてくれたり…あわよくば……

そんな一縷の希望を抱くスレ。
223:名無し :

2013/01/17 (Thu) 01:42:29

>>222

自力で戦っている時のギオよりも、手南の生気を貰って操作されている時のギオの方が、数段強いです。

ここで言う生気とは生物の活力とか寿命と言うより、万物を育み生かす自然のエネルギーを指します。

辞書にも載っている意味合いですが、人間や他の生き物には自然から、たとえば太陽の光とか水面からの水気といった、

心地よい良質な力の干渉を受けそれをエネルギーに変える力があると考えられています。

手南はそうして体内に溜め込んだ生気を使い魔に捧げる事を条件に、使い魔を自在に操るわけです。

この時の手南は自分の生気を手放し続けるので筋力が鈍り活発に動けなくなりますが、

逆にギオは彼の分の生気をも手に出来るので、単純に手南の身体能力を上乗せした活躍が出来ます。

(操作時ギオは犬より速く走りますし、握手した人間の腕を引っこ抜けます)


またギオを操作している時、手南にはギオが見ているもの、聞いている音などを感じる事が出来るので、

人間が入れない危険な場所にギオを送り込み、かつギオには出来ない複雑な作業(文字の解読や機械の操作など)をさせる事が出来ます。

よって二人が組む事で式神や護法善神よりも幅広いトリッキーな活躍が出来るようになります。



>>223

確かに「退魔師」というのは蕎麦先生が考えたというか、組み合わせた単語ですが…

実は退魔寺というお寺がありまして、この名前は江戸時代につけられたそうです。

意味合いもどうやら本来の魔を退ける、という事のようですので、退魔師という発想は別に斬新なものでもないようですね。

魔を退ける人、という意味合いなら、僧侶や呪い師もそのまま含まれますし。


よく降魔と言う言葉は実在するが、退魔という言葉は本来実在しない造語、と言われますが…

何にでも言える事ですが、「~が昔から在った」と証明するのは資料さえ出せば事足りるのですが、

「~は無かった」と証明するのは実は物凄く難しかったりします。


たとえば辞書を引いても気狂いという意味での「気触れ」は載っていませんが、

この言葉は少なくとも明治時代には文書に記載されています。

前回ビデオ棚に投下した中に出てきた「作話」も、辞書で引くと心理用語としての意味合いで紹介されますが、

心理学が全然メジャーじゃなかった時代はちゃんと「作り話」という意味合いで使用されていました。


なので、私は基本的にその言葉の意味がその時代的に無理なく通って、かつ使用され得た、あるいは

考え出され得たものなら、けっこうガンガン使っちゃいます。

退魔師もそのクチですね、「退魔」という言葉が既に存在していたなら、蕎麦先生が「退魔師」を思いついても不自然じゃあるまい。と。


個人的には多分「退魔師」を考えた人間は居たと思うんですがね。江戸時代ぐらいには既に。

いつかそういう文書がどこかからひょっこり出てこないかな、と期待してます。

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